従来、IT業界は、ハードウェア産業 [1] 、ソフトウェア産業 [2] 、情報サービス産業 [3] の三つに分類されてきた。システムを導入する企業が、ハードウェアを調達する企業、ソフトウェアを調達する企業を選び、必要に応じた部分最適的なシステムの導入が行われてきた。
しかし、近年の社会環境の変化や情報技術の発達、部分最適から全体最適への転換(ビジネスプロセスリエンジニアリング)の必要性(後述)、そして、何より、ハードウェア・ソフトウェアの調達から、必要に応じたソフトウェア開発及びメンテナンスに至るまでを一社で請け負うシステムインテグレータ(SIer)の登場により、システム開発を一括して委託するアウトソーシングが多くなり、各企業の事業が相互に拡大し、これらの分類は非常に曖昧になっている。
そして、近年IT不況がさけばれるが、IT業界全体が低迷しているというわけではなく、実際に業績低迷に見舞われているのは半導体や携帯電話、コンピュータ本体などのハードウェア部門が中心となっていて、情報サービス業 [4] というのはまだまだ需要は多いのである。
統計を見ていただいても分るように、バブル崩壊後、一時売上高・企業数共に低迷したが、その後、もち直している。金融ビックバン以降の四大メガバンクの統合や2000年問題への対応による特需との見方もあるが、これから先、地銀の統廃合が進む可能性があり、また、電子政府やEコマースなど、まだまだこの業界の需要は見込まれているのである。
さらに、従来は作業の効率化などに重点が置かれていた情報技術であったが、制約理論により全体最適の必要性が叫ばれ [5] 、IT業界は企業が抱える諸問題をITの活用で解決(ソリューション)することを任されることが多くなってきている。そのため、IT業界は情報システム構築だけでなく、IT戦略コンサルティングは当然として、経営コンサルティングまで立ち入ったソリューション提供が求められているのである。
世界初のコンピュータといえるのは、1946年に米国で開発されたENIACだとされている [6] 。ENIACはペンシルベニア大学のモークリとエッカートがミサイル弾道計算のために開発したものである。これは、18000本の真空管をもち、消費電力140kw、重量30t、幅45mという機械であった。その当時はプログラムもソフトウェアによるものではなく、配線によるものであった。最初の商用コンピュータはユニバックTという機械で、1951年に米国政府連邦統計局に納入された。
創世記のコンピュータは大企業や政府機関で使われたが、当時のコンピュータはハードウェアと「機械語で作られたプログラム」が一体となったものをさしていた。1950年代末以降、FORTORANやCOBOLなどのプログラム言語が開発され飛躍的に進歩した。コンピュータにフレキシビリティが与えられるようになり、ハードウェアに対してソフトウェアという名称が生まれた。しかし、1970年にIBM社が「アンバンドリング政策」でハードウェアとソフトウェアを分けて販売するまで、ソフトウェアはあくまでハードウェアのおまけであり続け、ソフトウェアはハードウェアメーカーが併せて作成していた。
1950年代〜60年代にかけては、大学での研究の検証、政府機関での統計、大企業の給与計算などで、労働力軽減のツールとして使用され、需要は次第に大きくなってきたが、大学や政府機関や大企業しか導入できないものであった。そのため、受託計算を行う情報サービス業が登場することとなる [7] 。さらに、受託計算の増加が、ソフトウェアの需要の増加とが重なり、ハードウェアメーカーが一括で請け負っていたソフトウェア開発が追いつかなくなり、1960年代後半になると、ソフトウェア開発を専門にするソフトウェアハウスが登場する。
日本国内では、政府がコンピュータ産業を保護するため、IBMに輸入規制をかけた。その保護の下、国内各メーカーはそれぞれ独自に開発し、ハードを供給した。そのため、メインフレーム [8] であっても、互換性がないものとなり、アプリケーションはもちろんデータの共有もできなく、ユーザーにとってきわめて不便なものとなってしまった。
そうした中で、メーカーに依存しない公開されたインターフェイスを持つコンピュータシステム [9] が提唱された。これをオープンシステムといい、ベル研究所の開発したUNIXなどがその代表である。このオープンシステムの登場により、ソフトウェアハウスはハードウェアに依存しないプログラムの作成による開発の軽減、また、メーカーの系列に縛られなくなり始めるのである。
ネットワークシステムは1960年代には既に実用化が始まっていた。各企業の専用ネットワークにつながったシステムでは座席予約システムや銀行のオンラインシステムが導入され始めたのである。また、1980年代にはパソコンが登場し、90年代にかけてのコンピュータの小型化・高性能化がすすみ、大型汎用機で集中処理をするよりも、小型コンピュータを並列に並べた分散処理をする方が高い性能を持つようになってきた。コストやスペース面をとっても小型コンピュータによる分散処理の方が高いパフォーマンスを提供するに至っている [10] 。
日本では、1995年以降爆発的な広がりをみせ、HPやE-mailは一般化して、インターネットが家庭生活からオフィスで仕事のやり方まで大きく変えた。インターネットを利用したEコマースは販売管理、受・発注、物流管理など業務の効率化とコスト削減を可能とし、新しい市場を生み出して、インターネットはデータベースが結びついてSCMやCRMといった方法論とコストダウンを実現している。そして、通信速度の向上や第三世代携帯がさらなるEコマースの発展に拍車をかけると予想される。
現在、企業を取り巻く世界情勢は二つの大きな変革の真っ只中にあるといえる。一つは市場や企業のグローバル化、そして、産業革命以来の大革命といわれるIT革命である。
市場や企業のグローバル化という用語は単なる多国籍化や国際化とは異なる意味で使われ、人・物・金・情報をはじめとするあらゆる経営資源が国境を越えて行き来し、産業間の境界が喪失、市場への参入規制が緩和されて、きわめて競争的な時代に対応した地球規模での企業経営を示し、規制緩和論の前提となる時代認識である。
IT革命はIT(特にインターネット)の発達は、業界の構造を根底から揺るがし、新たなビジネスモデルをもった企業の出現を可能とし、その代表例として、ヤフーやアマゾンドットコムなどがある。
日本企業の現状は、バブル時代のツケか、はたまた事業拡大をしすぎたせいか、いわゆる「コア事業」が何であるかが分らない状況になっている企業がほとんどである。「コア事業」とは、複数の事業を展開する企業において、それらの事業の中心をなす事業を指し、本業や創業事業という意味ではない。企業経営の基本は、自社内でどれだけ経営資源を「コア事業」に集中投下できるかである [11] 。「コア事業」をわかりやすい形で、明確にして経営しているのがIBM社である。1970年の「アンバンドリング政策」まではハードウェアメーカーとして、1970年以降はソフトウェアに力を入れ、1992年からは「e-business」と称して、ソリューションビジネスをコア事業としている。
これからは、「コア事業」に力を入れ、顧客に対して他者にはまねのできない自社独自の価値を提供するというコアコンピタンスの戦略を立てる必要がある。そして、自社にとっての強みを生かしながら、弱みを他社とアライアンスを組む手法により、少ない投資で大きな利益を得ることができるのである。
グローバル化を実現するためには、遠隔地との迅速な情報交換、情報管理が必要となる。このグローバル化を実現した技術的裏づけがITをはじめとする様々な技術革新である。 コンピュータは小型化・高性能化が進み、さらに、1995年以降インターネットが爆発的に普及し、単なるコスト削減のために行われていたITへの投資が、新ビジネスモデル・プロセスへの実現、他社との差別化のために行われるようになっている。「ITはビジネスのやり方を改善又は完全に変更することができる」といわれるほどになり、このアプローチは「ビジネス・プロセス・リエンジニアリング」の新しい手法とされている。
1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | |
景気 |
生活復興期 特需景気 |
高度成長期 オリンピック景気 |
転換期 オイルショック |
成熟期 バブル景気 |
再構築期 平成不況 |
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企業と市場の関係 |
「作れば売れる」 |
「売り込めば売れる」 |
「望まれるものしか売れない」 |
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マーケティング手法 支援システム |
「販売主導」 |
「調査主導」 POSシステム |
「広告主導」 |
「顧客主導」 CRM |
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流通革命 支援システム |
第一次流通革命 第二次流通革命 第三次流通革命 SCM (IT革命で加速) |
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ITの主たる売り物 業務とITの関係 支援システム |
ハードウェア 計算センターへ委託 |
ハード&ソフトウェア 作業の効率化 コンピュータの導入 |
ソフトウェア BPR SFA 、ERP |
ソリューション KM PS →KMが課題 |
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言語 ネットワーク |
コンピュータの登場 |
大型汎用機 COBOL、FORTRAN 専用回線、集中処理 |
中型汎用機 UNIX C言語 |
パソコンの登場 分散処理、TCP/IP |
C++、JAVA、VB インターネットの普及 |
[1] 「ハードウェア企業」は、各種コンピュータやプリンタ、その他ネットワーク及びネットワーク機器などを作成するメーカーを表す。
[2] 「ソフトウェア企業」は、ハードウェアを制御、及びデータを加工するための命令を与えるプログラムを作成する企業を表す。
[3] 「情報サービス企業」は、ハードウェア及びソフトウェアを組み合わせて、データの加工や情報の提供をする企業を表す。
[4] 「特定サービス産業実態調査」の定義によれば、「情報サービス業とは、@ コンピュータ(電子計算機)のプログラムの作成及びその作成に関する調査・分析・助言等のサービス、Aコンピュータを用いて委託された計算を行うサービス、Bコンピュータ処理用にデータを電子媒体等に書き込むサービス、C各種のデータを収集・加工・蓄積し、情報として提供するサービス、Dユーザーの情報処理システム、コンピュータ室などの管理運営サービス、E市場調査やシンクタンク業務等、その他情報サービスを業務として営む事業所をいう」とされ、従来のソフトウェア業と情報サービス業を含むものと考えられる。
[5] 制約理論とは、「部分最適の集合は全体最適にはならない」という理論である。従属性のある事象の一部分だけを最適化しても、全体としての性能は一番効率の悪い性能に依存する。つまり、@からCまでの流れ作業の中で、Bの性能が最低として、AがBの3倍の速度で作業をできたとしても、Bで作業が滞るために、全体としてはBの速度と同じスループットしかえられないというものである。
[6] ENIAC以前の1940年にAT&Tベル研究所がリレー式のMODELTを作り、1941年にはIBM社がMARKTを作っているが、共に単なる計算機と位置づけられている。
[7] 当時誕生した情報サービス企業は、日本ビジネスコンサルタント(現・日立情報システムズ)、日本電子計算、東京データセンター(現・TDCソフトウエアエンジニアリング)、共栄計算センター(現・アイネス)、富山計算センター(現・インテック)などであった。
[8] 日本語では汎用機と呼ばれ、中型から大型のものを指す。
[9] 具体的には、ソフトウェアとハードウェアの間にOS(オペレーティングシステム)を挟むことによって、メーカー間の違いを吸収し、ソフトウェアハウスはハードウェアの違いを気にせず作成し、異なるハードウェア上で、同じプログラムを動作させることを可能とするというものである。さらには、標準的規則(例えば、通信に関する規則)を作成することによって、ハードウェア内での処理がどう行われていようと、その戻り値を受け取るソフトウェア側はその違いを認識しないようにすることである。
[10] 「集中処理」の時代は、端末はあくまで入力用で、全ての処理は中心のホストコンピュータの役割だった。しかし、「分散処理」では、端末で入力されたデータをさらに多少の処理を施し、中心になるコンピュータ(これも小型コンピュータでよい)に送り、保存するというものに変わってきた。
[11] 付け加えるのであれば、M&A(いわゆる企業買収)や新規事業参入で事業拡大をすることももちろんであるが、それ以上に重要なのは、見込みのない事業をいかにロスを少ない状況で見切りをつけて撤退の判断を下せるかというものも、企業経営の重要な要素である。
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